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ありがとう、祝福、素直な自分で

集中の感覚

最近速読で本を読んでいる。
宇都出式速読法で、正直読む本の知識(ストック)があれば読める前提はすごく納得した。

まえがき、あとがき、を5回もくじを10回読んでから、本文を3回が基本セットで読んでる。
読んでいるというより、文章を舐めている感じ。
最初はさっぱりだが、だんだんと著者が言いたいキーワードがよく目に止まるようになったり
章ごとに何が言いたいのか、著者の主張が章のブロックで伝わって来る。

例えば三冊読むなら、一冊目でだんだんと一定のテンポで目が動くようになってページがめくれるようになって
一冊目の本文2回目あたりで、リラックスして文章を舐められるようになってくる。

これを後から振り返ると、一つの動作に集中する時は音量のボリュームスイッチみたいにすいーっと力が抜けて入っていく感覚。
ON/OFFのスイッチみたいな、パチッではない。

速読を通して本に対する意識が軽くなった。
気軽に手に取って読めるようになった。
素晴らしい!

どんな本でも大量に読める「速読」の本 (だいわ文庫)

どんな本でも大量に読める「速読」の本 (だいわ文庫)

たとえ焦ってもいい、落ち着くから

失敗がなんだ、負けがなんだ。
そんなの大きな視点から見れば、小さな変化だ。
プラスにしろマイナスにしろ、小さな変化だ、高い視点で試行回数の合計と見ればプラスにしかなってない。

何かしら変化を求めるときに良く考えるのは初期設定の変更だ。
アンフェアな条件で遊んでいて負けたことに気づける時は、必ずゲームを俯瞰する情報を得たときだ。

ゲームの局面を必ず悪くする不機嫌野郎が口を突っ込んできたときに、チームの士気が下がるなんてのは良くある。
それに気づけなかったのは、不機嫌野郎が分不相応な権限を持っていたからだ。
自分の頭の中であきらめてしまう、自己対話の中でこう言った「社会は不条理だ、諦めよう、この一時我慢すればことはおさまる。」

不機嫌野郎がチームのボトルネックだと気づけたときは体を悪くして休んだときだ。
ふっと感情論から一歩引いて情報を整理してドライになったとき、場に飲まれていた自分の不覚に気づけた。

不機嫌野郎がチームの情報を散らかすから、余計な波風が立って要らん緊張感が場に漂って
あれこれ要らない作業をしているうちに時間が経ってしまう。

だいたい上手くいかない時は、必要な情報が不足しているんじゃ無い。
不要な現象が繰り返し起きている。

不要な現象は、チームの中にいる不機嫌野郎が起こすかもしれないし、そもそも規定や理念がおかしいかもしれない。
はたまた個人の感情レベルかもしれないし、感情よりも気づけない無意識レベルかもしれない。

初期設定を変えるのは簡単だ。
自分に理想を、望みを言い聞かせ続ける、どうありたいか、どうなりたいか。

何回でも駄文を量産してやろう

何をしていても、何かしら無価値感や恐怖、焦りみたいなものを感じていた。
どこかしら、いい子で無いといけない気がした。

何かしら上手くいっても、自己対話の中で評価を下げてしまうことに気がついた。

そう、そうするとついつい視野が狭くなりがち、目標設定するにしてもすぐ近くにしか設定できない。
ミクロな視点でしかなく、俯瞰したようなマクロな視点を失いがちだ。

ただ、自分が何をしたかに関係なく無条件で自分を許せる。
自分にあったアファメーションを無条件で使えば、視野は広くなるし、態度も変わる。
その度にゴールも遠くへと設定できるようになっている。

大事なのは無条件ってことだ。
これに慣れてくると、何かしら選択をするときに自分の基準で選べるようになってくる。
不要なものは目に入らなくなり、必要なもの欲しいもの、望むものだけが選べるようになってくる。

ゆっくりではあるけれど、確実に進歩している。

さっぱり何も思い浮かばん

コーヒー屋のおばちゃん、文房具屋の店長
別に名乗ってもいないけれど、気楽に話せるのが楽しい。

偉大になりたい、名誉ある何かを成したい
そう思うからこそ、いい人でいたほうがいいと思いがちだ。

ただ、いい人でいなくていい、自分が思う気楽な態度で話したい
気楽でいたい。

そうすると、さっぱり何も書くことが思いつかない。
読んでもらう人、ターゲット、マーケティング、どうでもよくなる。

書き方も気にしない。
別にまとまっていなくてもいい、論も証拠もなくていい。
それでいいさ。

愛しています!ありがとう!

愛しています!
ありがとう!
ワールドピースコーチングに参加します。
ありがとう!
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enty.jp

「洗脳されてしまうかも」と思う時

大丈夫です、私は十分に洗脳されています。

私は本を読むのが好きで、著者の意見や思いに強く胸を打たれることがあります。
読書家というほどではないものの、本を読むのは苦ではなく、気楽に読む程度、頻度で本を読みます。

昔、専門学校に通っている時に心理学のセミナーに行ってお話を聞いてきた時に、あーいいこと言ってるな、素晴らしい活動だな。
医療ではなく普段の生活の中で生かせる心理学の事例を面白おかしく教えてもらえて、楽しかった。
それをクラスで話すと、「洗脳されてるんじゃないの?」「やべーんじゃね?」みたいなことはよく言われました。

システム開発の会社に所属していた時は上司に心理学の話をすると「洗脳されてんじゃないの?」「やめたほうがいい」「あんまり本読むな」とまで言われました。

ん〜・・・わかりました!
こうだ!こういう仮説だ!
洗脳されるんじゃないか?って思うように洗脳されている説

街中で宗教的な勧誘を匂わせる人に対しては、違和感があるのに
新聞や雑誌には違和感がないならば、それはある種の洗脳なのではないか?みたいな問です。

巷で言われている明らかにやばい新興宗教の本はやばいと思うのに
仏教神道、禅の本はついつい手にとって何の疑いもなく頷いていまう時。

催眠と洗脳の違いは、催眠はとけて、洗脳はとけない。

自分が何かしらの違和感に対して、常識的に・・・、普通は・・・と考えて処理しようとする時、本当にそれは常識的なのか、普通なのか?
それが普遍的な意味ならば、誤解の余地なく多くの人に理解されるはずだ。

洗脳について知らないなら、「洗脳されてしまうかも」と思うのは、意味がない。
洗脳の仕方を教えてくれる本を何冊か読めばわかるけど、洗脳する側は相手に絶対にわからないようにやるから。
洗脳されている側は絶対に気づかない。

洗脳について知らない友達に「それ洗脳じゃね?」って言われても意味がない。
そう、知らない人の忠告なんて不要だ、そんな奴の助言を聞く必要がない。

ここまで書いていて、自分への言い聞かせになっちゃった。
この説は途中で破綻した。
洗脳されているんじゃないかって思うように洗脳されているんじゃない。

洗脳されているんじゃないの?って言うならどれぐらい洗脳について調べたかまず問え。
それが自分でも、友達でも、上司でも聞けばいい
「洗脳ってどういうことですか?」「わからないんで教えて下さい。」
ソクラテスの問答法みたいに、根掘り葉掘り教えてもらおう。違和感があるならまた聞こう。

自分が納得できないのに、相手が感情的になればそれで終わり。
自分で根拠なり、データなりを自分で調べて納得できるところまでやればいい。

あいまいなコミュニケーションよりも、素直な気持ちでいること。
正直でいること。これだ。

自分の本棚にある読みたくない本を売ったら、新しい気づきがあった。

断捨離、人生がときめく片づけの魔法を読んで、何回目かの自分の部屋の整理をしてみた。
その時に、自分の本棚にある読みたくない本を手放したら、そうだ、別に読むべき本なんてないって思った。
じゃあなんで買っちゃったんだろう?それは仕事してないから、パソコンで何か稼げる方法を探そうと思って買った本。
これは読むべきだって本は、背表紙見るだけで萎えた。
そこから自分が好きな本だけの本棚にしたら、そこに萎えない。

あ、これ読んでないけど読んでみたいな〜
手にとってペラペラめくってみたら30分経ってた。
いいじゃん!