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ありがとう

ありがとう、祝福、素直な自分で

ゲームでチート使ったら、ゲームの考え方が変わった

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チートを使って、ゲームの考え方が変わった

テレビゲームは学生の時は一生懸命やっていた。
ただ、高校生の時にPSPモンスターハンターポータブル 2nd Gをやった時に流行りでチートを使った。
ゲームが簡単に楽になることのつまらなさを初めて知った。

攻撃力64倍、好きな装備を出現させる、HPが減らない、等々

ゲームって数字なんだなって思った。
おれは中学生の時からパソコンに興味が湧いてきて、タイピングの練習をしてたから
そこから更にITへの興味が湧いてくる。それはまた別の機会に話そう。

ゲームと言えば、友達と装備の自慢したり、ドロップ率の低い貴重な合成アイテムが出たとか
強いモンスターの攻略方法について話したり。
必要なくなったもんね。

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恩送り Pay forward

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恩送りを教えてくれた人がいる

恩返しって一般的に、誰かによくしてもらったらその恩はちゃんと覚えているべきで、返すのが良識ですみたいにいわれている。

おれに恩送りって事を教えてくれた人は、自分でプレゼントしたこと忘れてるし、いつも感謝の気持ちで溢れてる。
ずっと尊敬してる。

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SEは辞めてよかった 周りからは無職を馬鹿にされるけど、そんなことより普通に動く身体がありがたい。

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SEはやめてよかった。
システムエンジニアって言えばかっこいい職業だと言われてた。
でも実際は、毎日自分の負荷テストしてるだけだから。

これぐらいは耐えられるか?
仕事の一日は9時から始まって、夜の9時までやってられるか?
そんな感じだった。

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わざわざやってもらうこと だからこそ、ありがたい♪

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よくドトールコーヒー行って、のんびりしてるんだー。

おれは掃除も好きだし、コーヒー淹れるのも好きなんだー。
でもさ、やっぱり自分の家で、自分の部屋で過ごすのと、ドトール行って過ごすのって違うんだよなーって感じて、何が違うんだろう?って考えた結果

たぶん、自分でもできることをわざわざやってくれてるから、自分はやらなくていいんだって思った。

そう、自分の部屋だと自分ができることが多い分、そこに気を使う余地ができる。
それは素晴らしいことなんだけど、集中したいときにそういう状況だと、気が散ってしまう。

よくテスト前日に掃除が捗っちゃうあの現象に似てる!

 

だからこそ、ドトールでコーヒーを飲んでいるときは、コーヒー淹れるのも掃除をするのもやってくれて、ありがたいな、コーヒーを飲むのと本を読むの、ノートに集中させてもらえて嬉しいな、ありがたいな♪って感謝の気持ちが心から溢れた。

今日はいい気づきをもらったな。
ありがたい♪

仕事ってなんだろ? 与えるってことでは?と思った。

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専門学校の時の友達と久しぶりに集まって話して、みんな変わってないなーって感じだった。

給料とか仕事の仕方とか資格とか色々考えてんだなー、頭いいなーって思った。

 

おれはお酒苦手だし、タバコとかギャンブルとか興味無いし、正直言うとコントとして仕事するのに違和感があるから、おれは仕事とか人生とかを自分なりに考えてる感じだな。

所属するコミュニティの中で指揮系統っていう役割でコントしていると、たぶん自分が社会や世界、宇宙に与えたい何かって曇ってしまう感じがする。

 

仕事は、自分の我慢できる範囲を増やすことじゃなく、いかに自分が世界や宇宙に与えたいことを与えられるかだと思っているから、なんか昔の友達の話がよくわからなくなってきてしまった。

 

ただそれは、昔の友達に対して自分が何か与えられるような機会がなくなったってことを認識しただけで、もっとアプローチできる人たちが他にいるっていう可能性を教えてもらった感じがしてる。ありがたい♪

 

おれはこうやってブログに自分の気持ちとか、考えをぽつぽつかけて楽しいなー♪

私は応援しよう

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私の家は、仏教神道を宗教としている、ありふれた日本の家庭だ。
お正月になれば初詣に行くし、お盆やお彼岸には親戚の人が来たり、親戚の家に行ったりする。

 

私が「祝福」を一つのテーマに考え始めたのは専門学校に通っていた頃、Think Simple アップルを生みだす熱狂的哲学を読んでから。

祝福と言うと、キリスト教っぽい響きがあるけれど、キリスト教はよく知らない。ごめん。

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論破しても人は動かない、恐怖や焦りに追い込んでも納得しない

自分が所属する指揮系統の中で、指事されたことをやるのが立派なのか?

働き方とか、自律性とかを考え始めると自分の考え方の根底が揺らぐ。

それほどまでに自分の信じてきた労働が美徳で、評価されること、褒められることが大事なのか?と疑問に思う。

 

例えば自分が何か仕事を教える立場になったとしたら、相手を評価し、論破し、諦めさせて追い込むことが大切だとは思わない。
相手にとって納得できるやり方を一緒に考えたりできればと思っている。

自分の意見を言うために相手の意見をくじくことが正しいことだとは思えなくなってきた。

理想では食っていけないというけれど、理想がなくなってしまうと長期的な行動への指針がなくなってしまうのと同じだ。
短期的な目標の達成は、今の時代では具体的で響きがいいかもしれないが、それを達成してしまった後に、次の目標への指針になるものが理想とか夢にあたるはずだ。

 

相手を喚起させるのに、恐怖や焦りに追い込むのは結果的に次の恐怖や焦りを必要とする行動へと導く行為だ。

恐怖や焦りでできたことは、次なる目標にさらなるエネルギーとして恐怖や焦りが必要になる。
それは小さな劣等感を植え付ける行為だ。

劣等感は自己肯定感を削ぐ。
自分の可能性を狭く見せる。

劣等感にさいなまれた人といると、自己肯定的な意見は潰される。
劣等感からは希望は限りなく見えづらくなる。

 

どうしたら。

自分を肯定していいんだ。
大丈夫、自分を肯定するのに根拠はいらない。
なぜなら自分を罰してしまうのは、誰かの根拠の無い言葉が心の中で反響しているだけなのだから。

 

条件付きでいい子を演じてきたからこそ、自分が上手くできない事に自分が許せないだろう。

だからこそ自分を無条件で許そう。

自分を許せる人は、条件付きで自分を許す人よりも自由だ。

なぜなら自分の心の中で自分を応援する言葉が反響し始めるから、自分の中で何かと闘う人よりも心穏やかだから。