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ありがとう、祝福、素直な自分で

論破しても人は動かない、恐怖や焦りに追い込んでも納得しない

自分が所属する指揮系統の中で、指事されたことをやるのが立派なのか?

働き方とか、自律性とかを考え始めると自分の考え方の根底が揺らぐ。

それほどまでに自分の信じてきた労働が美徳で、評価されること、褒められることが大事なのか?と疑問に思う。

 

例えば自分が何か仕事を教える立場になったとしたら、相手を評価し、論破し、諦めさせて追い込むことが大切だとは思わない。
相手にとって納得できるやり方を一緒に考えたりできればと思っている。

自分の意見を言うために相手の意見をくじくことが正しいことだとは思えなくなってきた。

理想では食っていけないというけれど、理想がなくなってしまうと長期的な行動への指針がなくなってしまうのと同じだ。
短期的な目標の達成は、今の時代では具体的で響きがいいかもしれないが、それを達成してしまった後に、次の目標への指針になるものが理想とか夢にあたるはずだ。

 

相手を喚起させるのに、恐怖や焦りに追い込むのは結果的に次の恐怖や焦りを必要とする行動へと導く行為だ。

恐怖や焦りでできたことは、次なる目標にさらなるエネルギーとして恐怖や焦りが必要になる。
それは小さな劣等感を植え付ける行為だ。

劣等感は自己肯定感を削ぐ。
自分の可能性を狭く見せる。

劣等感にさいなまれた人といると、自己肯定的な意見は潰される。
劣等感からは希望は限りなく見えづらくなる。

 

どうしたら。

自分を肯定していいんだ。
大丈夫、自分を肯定するのに根拠はいらない。
なぜなら自分を罰してしまうのは、誰かの根拠の無い言葉が心の中で反響しているだけなのだから。

 

条件付きでいい子を演じてきたからこそ、自分が上手くできない事に自分が許せないだろう。

だからこそ自分を無条件で許そう。

自分を許せる人は、条件付きで自分を許す人よりも自由だ。

なぜなら自分の心の中で自分を応援する言葉が反響し始めるから、自分の中で何かと闘う人よりも心穏やかだから。